加賀依緑園
石川県加賀市山中温泉は、開湯1300年の歴史を持つ古い温泉地の一つである。山深い素晴らしい景観を誇るこの温泉地に、明治44年に建設が開始された別荘旅館群「旧よしのや依緑園別荘」が、本作品「加賀依緑園」の前身である。
鶴仙渓を望む斜面地に立地するこの温泉旅館の別荘群は、その邸宅と庭園が一体となった邸億一如の素晴らしさで、多くの皇族や文人墨客を魅了した。昭和22年10月26日には昭和天皇が宿泊されたことを筆頭に、吉田茂、佐藤栄作の山中会談が行われ、吉川英治や川端康成といった作家も逗留した。「依緑園」という名は、杜甫の漢詩「名園依緑水」に由来し、書家の日下部鳴鶴が名付けたとされる。その名の通り、豊かな緑と水の名園に寄り添うように建築が溶け合うように設計されている。
自然に恵まれた素晴らしい温泉環境が、美しい建築群と庭を生み、人々を呼び寄せ、多くの物語が折り重なり、歴史の糸が紡がれてきた。しかし、時代の変化とともにその糸は徐々に細くなり、旅館の廃業とともにぷつりと切れてしまった。それ以降、多雪地帯であるこの地に繊細な数寄屋建築群は、メンテナンスなしでは耐えられるはずもなく、劣化の一途をたどり、朽ち果てて復旧が叶わなかった棟もあった。もう5年早ければ十分に救えただろうことが悔やまれる。平成30年の大雪が、決定的な打撃となったからである。
かつて人々を惹きつけた魅力的な環境はほとんど失われてしまっていたが、2011年の市への寄贈を経て、ようやく復旧・改修工事へ向けた動きが始まり、地域の機運が高まった。そして、今回の改修工事へと至った。
過去の物語性を単に取り戻すのではなく、新たに「依緑園」という名にふさわしい、緑と水に依り添う建築群を再生し、維持し、人々に体験してもらう。そして、「本物」の環境を地域で継承していくことを目的としている。過去の物語性を超え、現在の「依緑園」を作ることが、関わった全員の総意である。建築に用いた材料も技術も、当時のものを尊重し、安易に現在のプレカット技術などは用いていない。ボード類も使用していない(平成14年改修の本館を除く)。木と石と土で作られた当時の技術を学び、本工事にあたった地元の職人達が継承していく。
photo by shotaro kaide